前は子どものことをよく分かっていたのに、今は考えてることが分からない
不登校の相談を受けていると
「あの子がなにを考えているのか分からないんです」
「どうしたいのか全然わからなくって」
などの言葉を保護者の方から聞くことがあります。
カウンセリングに来談される保護者の方々は
かなり切羽詰まっていて
どうしたらいいのか分からず相談に来られているので
まずは、子どもが何を考えているか分からないという
”保護者の方の不安感”について触れさせていただきます。
どうして学校に行かないのか分からないから、不安
将来についてどう考えているのか分からないから、不安
今の状況についてどうしたいのか分からないから、不安
ここでの不安は、子ども自身にとっての不安ではありません。
先が見通せないことに対する保護者の方の不安です。
そもそも、子どものことが「分からない」のは
本当に不登校になってから始まったことなのでしょうか。
子どものことが「分かる」とは
どういう状況のことを指しているのでしょうか。
相手の考えていることが分かるって?
私個人の印象としては
子どものことを「分からない」という保護者の方よりも
「分かっている」と断言する保護者の方のほうがやや不安を感じます。
子どものことが「分かる」とはどういう状態なのでしょうか?
この子が何を考えているのか分かる、どうしたいのか分かる
それって本当に「分かって」いるんでしょうか。
自分ならこう思う、ということを子どもに当てはめていませんか?
この「子どもの考えていることが分かる」の裏側にあるのは
<同一視>や<投影>と呼ばれるこころの動きです。
これは、相手に対して
「自分ならこう考えるから、相手もこう考えているはず」
と考える思い込みをさします。
「私ならこうしてほしいから、子どもにもそうしよう」
「私の時はこうだったから、子どももそうだろう」
「私がこれだけ不安なんだから、子どもはもっと不安なはずだ」
それ、本当に子どもがそうだって言いましたか?
血のつながった子どもといっても
相手は自分とは別の独立した存在であり
小さくても未熟でも自分の世界をもって生きています。
分からなくて当然なんです。
だって違う人間なんですから。
子どもの考えが分からないことは
決して保護者の子育てを否定する状態ではありません。
分からないから愛情が足りないとか、親失格とか
全くなんにも関係ないんです。
何を考えているのか分かりたい、知りたいという気持ち自体は
とても大切なものだと思います。
それ自体を否定するつもりは全くありません。
しかし、話を聞いても分からない、理解できない部分は出てくるものなのです。
もちろん、子どもと面と向かって話し合って
子どもの話をきっちりと丁寧に聞いたうえで「分かる」とおっしゃっている場合は
素晴らしいご家庭ですよね。
でも、なかなかそうはいかない部分も多いかと思います。
分からない同士はどうするのか
さて、ここまでで
子どもの考えていることが「分からない」のは
当然であることをお伝えしてきたのですが
子どもの考えていることを「知らない」ままでは
困ってしまいます。
話を聞いても「分からない」部分だってある。
しかし、なにも「知らない」ままではお互いの理解は進みませんよね。
まずは、わが子はこういう子である、という思い込みをいったん脇においてください。
そして子どもにかける期待や不安も、同様にいったん置いておいてください。
何もフィルターのかかっていない、フラットな状態で子どもと向き合う時間を作ってください。
そのうえで、子どもと<対話>をしてください。
なにかを教えたり、自分の希望の方向に導いたりするのではなく。
物事を自分の視点で考えられる1人の人間として
どうしたいのか、何を考えているのかを丁寧に聞いてあげてください。
そのためには時間がかかるかと思います。
いままで自分の言葉を聞いてもらえなかった経験をしている子どもは
どうせ言っても分かってもらえない、聞いてもらえない、と
自分の意見を言わなくなってしまっています。
<対話>をするためには信頼関係が必要です。
私たちだって、信頼のおけない相手に対して
自分の思っていることをちゃんと話したりはしないですよね。
親だから無条件に信頼してもらえるなんてことはありません。
最後に
親も1人の人間であり
子どもも1人の人間である。
分かり合えないことだって
理解できない部分だってあると思います。
それでも親子であるからこそ
一緒に立ち向かわなければいけない課題もあります。
もし、子どもの考えを「知る」ために
親に「知ってもらう」ために
一歩を踏み出してみたいと思うことがありましたら
ぜひお手伝いをさせていただきたく思います。
予約フォームより、お気軽にご相談ください。